無職デブカスクソニート(当時)が8月に富士山に登った話
もう4ヶ月も前だが、2022年8月10日~8月11日に富士山に登った。
そういえば、特にどこにもまとめていなかったなと思ったのでここでまとめてみる。
きっかけはそこからさらに1年前の2021年9月上旬。僕がいつも暇さえあれば見ているTwitchというサイトで配信しているスタンミ氏の富士登山配信であった。
なんとなーく「面白そうなことしてるなぁ」程度で見ていたこの配信。
ただ、それと同時に「確かに私は日本人だし、人生で1回くらいは登っときたいよな…」とも思った。
が、この時の時期が9月上旬。富士山は9月中旬には閉山!!!
たまーに冬の雪化粧をまとった富士山に登る人もいるがそれは論外。
くそぉ…行きたい…行きたい…でも無理や…もう登山ツアーの予約は全部満員御礼…
そしてそんな悔しい気持ちを抱きながら富士山は無事閉山したとさ。
おしまい
そうだ、富士山に行こう!!!
約1年後の2022年8月頭…ふと頭に1つの言葉が浮かんだ。
まずいまずい、こうやって忘れて忘れて思いついても「ま、いっか」で後回しにして去年もいけなかったんだ!!
思い立ったが吉日。早速思い立った日から約1週間後のご来光拝みツアーに参戦決定。
何故1週間前というギリギリに予約したかというと、「山というのは天候が変わりやすい」というのは素人でも分かる知識である。いろんな人の登山記録を見ると、もちろん美しいご来光を拝んだ人もいたが、山頂の天候が悪く、8合目で泣く泣く下山している記録を残す人も…
ツアー代金は安いわけではない。8合目で降りるのはさすがに悲しい。なので、その時点で晴天マークが付いていた1週間後に予約した…という経緯だ。
真夏の蝉が鳴り響く新宿駅で集合し、富士山5合目に着いたのがお昼過ぎ。お盆ということもあり、1時間程バスは遅れて到着した。
バスを降りると、無意識に「さむっ」と声が出てしまった。添乗員さんが予め「5合目は寒いです。上着を羽織ってから降りてください。」とおっしゃっていたが、上着を着ても肌寒い風を感じた。
降りると目の前には木々と雲が出迎えた。まるで天空の城ラピュタを思い出すような景色。
登山用具などをレンタルし、概ね準備を整えるために1時間ほど時間が取られた。
これはもちろん準備をする時間でもあるが、空気の薄さに慣れ、高山病を患わないようにするためである。
5合目とはいえ、標高は約2,300m。新宿よりはもちろん標高が高いし、空気も薄い。
まだ空気の薄さは感じなかったが、それでも呼吸する度に感じる冷たさは冬をようだった。
13時ごろ:登山開始
今回は十数名の同じグループで行動した。元気なご夫婦、思い出作りを目的とした親子、現役の自衛隊員、無職デブカスクソニート…などなど、いろんな人たちが集まった。先導するのは「絶対に富士山が家だろ」と言わんばかりのベテランおじさん。とはいえ、登山ガイド歴は10年未満らしく、それまでは富士山麓でゴルフ場やホテルなどを回る送迎の仕事をしていたらしい。
5合目~6合目と7合目の途中までは馬でも行けるらしい。ただ料金は高い。キャッシュレス、電子決済不可。現金のみ。富豪のたしなみとはこういうことを言うのだろうか。
富士山を登っていると、避難シェルターが現れた。万が一落石などが発生した際にここに逃げ込めば良い、ということらしい。2019年にも富士山では落石で死亡事故が起きており、登山客が蹴った石が下まで落ちて…なんてこともある。
そして、周りの自然を見てくれれば分かるが、このあたりから背の高い木々などは見られなくなった。標高の高さを視覚的に感じさせてくれる。
45分程かけて6合目に着いた。そういえば5合目で込み合ってて入山料を払っていなかった、と思い入山料を支払う。受付のお姉さんに「ここからが本当の富士山ですよ~頑張って♪」と怖さを感じる笑みで鼓舞してくれたが、たしかにその言葉は正しかった。ここからはこの5合目~6合目とは比較にならないほどの急な傾斜を登ることになる。登山客のカラフルな列が大蛇のように遠く遠くまで続く。
そして背景からも分かる通り、ここは今、”雲の中”だ。風がものすごく吹き、パンフレットが飛んでいく。この雲を抜けるのがまずは1つの目標、そう思いながら重い腰を上げた。
雲を抜けると、富士山麓、所謂”樹海”と言われる広大な景色と、河口湖や山中湖、その周辺の街を一望することができた。もちろん体力は奪われているのは事実だ。しかし、その都度振り向くとこの景色が広がり、疲れを一瞬にして飛ばしてくれる。”美しい景色は最高のエネルギーである”ことが身をもって体感することができた。
もちろんこの後もキツくなるものの、そのたびに一度景色を見てスッキリしたら自然と足が動き出した。遠くの山の見え方などの変化で「あ、標高が高くなってるな。順調に進んでいるな」と確認する。
カメラでは伝わりづらいが、風も相まってとても美しく富士山にもう一度登らない限り二度と味わえない体験だと感じた。
7合目が近づいてきて、山小屋が見えてきた。登山客以外の人間の営みを感じるのがこんなにもありがたいのか…まるで砂漠にポツンと存在する水が湧き出るオアシスのようだ。そしてもう、本当に自分の背より高い植物が無い。遠くから見える腰くらいまでの高さの植物が「苔」に見えてきていた。
段々地理的感覚も失われていった。右に左にグネグネと180度回転しながら登っていく富士吉田ルート。今自分がどの方角を向いてるのかなど考えられなくなっていた。
砂が深く、足を持ち上げるのに力がいる。もちろんその力というのは大したものではないが、段々蓄積される筋肉の痛みを感じていた。
7合目地点少し手前から岩肌が登場する。ここからはただの傾斜ではなく、ゴツゴツとした岩を登ることになる。これが想像の10倍キツい。岩を登るということは、腿を今まで以上に上げないといけない。今までは傾斜ウォーキングがメインだったのに、ここからはリングフィットアドベンチャーにある「モモアゲアゲ」がメインになる。流石に運動してないで行くとキツと思っていたのでジムで毎日30分傾斜ウォーキングをしていたが、まさかのモモアゲアゲ…リングフィットアドベンチャー…サボってたンゴ…
岩を登ることにより、段々体力の消耗も激しくなっていく。そして、何が一番キツかったかというと、岩を登り、そして最後の小屋前に必ずある十数段の階段だ。「行くぞ!」と意気込んで階段を上り始めるも、10段目くらいで足がかつてないほど悲鳴を上げる。足が物理的に重くなり、上がらないんじゃないかと思うくらいの筋肉痛が襲う。しかしそれよりも怖いことがある。
何が怖いかというと、汗をかいていないということだ。
ここでの気温は十数度だろう。つまり、汗をかくほど暑い環境ではないのだ。汗をかかず、でも明らかに体は疲弊している。でも別に水分が欲しいわけではない。でも水分を取らないと次第に高山病などのリスクが高まる。今回の登山でガイドのベテランおじさんも「水分は躊躇なく取ってください。1回休憩するごとに1回は取ってください」と言っていた。続けて「もしなくなったら山小屋で買ってください。値段は高いですが、命はそれよりも高いです。」と。その言葉は嘘偽りない事実であり、また気付きにくい点でもある。
途中で休憩をこまめに入れつつ無我夢中で登っていると、いつのまにか雲海を抜けていた。より一層標高が高くなり、さっきまで目の前に見えていた山の標高よりも高いところにいるようだ。奥の山々までしっかり見渡すことができる。
ここらへんですでに私はランナーズハイのような状態になっており、もちろん肉体的な疲れがあるのは紛れもない事実なのだが、全くその疲れが精神まで到達することが無かった。ただただひたすら登る。自分の足が勝手に動いていった。
とある休憩の時に、現役自衛隊員ニキが「『やまびこ』とかって出来るんですかね」と言った。すると、それを聞いていたガイドのベテランおじさんが突如徐に立ち上がって息を一気に吸い込んで
やっほぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!
と叫んだ。すると、ベテランおじさんの声がこだました。思わず周りにいた人たちが「おぉぉぉ」と拍手が沸いた。すげぇ。やまびこって現実に存在するんだな。
ちなみにその40分後、下の方でパリピニキっぽい人が同じく「やまびこ」を行っていたが、不発だった。
やはりあればベテランだからこそ、の技術なのだろうか。
時刻は18時を過ぎ、5合目から約5時間経過したところで、仮眠をとる8合目白雲荘に着いた。
この時点で標高3,200m。5時間かけて900mの高さを登ってきた。既に個々の時点で気温は平均10度前後。言っておくが、私が登ったのは8月である。
もちろんまだ頂上ではないが、まず大きな目標を1つ達成したことで安堵した。
到着すると山小屋の人たちが「お疲れ様でした~」と温かい声をかけてくれた。そしてストーブもあり物理的に暖かい。僕たちは指定された場所に重い荷物を置き、座り込んだ。何も考えられないほど疲れていた。
脳を動かすほど体力に余裕がなかった。口や言葉を出すほどの体力もなかった。でも8合目まで行けた事。その余韻に浸って自然に笑顔が出た。
夕食に出てきたハンバーグとカレー。寒さに耐えながら登った後に出てくる暖かいごはんにありがたみを感じつつ頂いた。ここまで幸せになれるのか、ご飯って。
ついでに夜の登頂中に食べれる軽食のようなものも頂いた。クッキーにカロリーメイト的なやつなど…エネルギーを手っ取り早く補給できるものがたくさん詰まっていた。
その日は19時には寝るように指示された。起きるのは日付が変わる0時ごろ。そこから頂上へアタックをし、ご来光を見る、という流れだ。その日はカプセルホテルのような1畳程度の広さの場所に寝袋が用意されていた。
「とにかく寝れなくても寝ないと後に響く。頂上にアタックするときに寝不足は論外。」
そう感じながら寝ることにした…
寝れるわけねぇだろ
まず床が固い!!!めっちゃ固い!!!背中がバリクソ痛いんじゃ!!!
そしてなんかジャリジャリしてるの!!砂がちょこちょこ紛れ込んでるの!!!寝れねぇよ!!!
結局まともに寝たのは30分くらいかな。きつい。
ちなみにこれは余談なんですけど、ここで必死に寝ようと思った時に謎の電話番号から電話がかかってきてビビったた記憶があります。「何やねんこんな時に…てか8合目でも電話回線繋がるdocomoえぐい」って思ってたら、この電話が後々現在働いてる企業の採用のお知らせの電話だったのでした。どんなタイミングでかけてくるんや。
ちなみに、最後の下山までずっとWi-FIは繋がったままでしたし、Twitterなどが普通に休憩中などでもできました。かがくのちからってすげー!
安全のために頭にライトをつけたのち、歩き出す。下を向けばライトがうじゃうじゃと動いている。まるで蛍のような動きだった。寒さはより一層増して、体感では5度前後になっていた。こういう時にバッグに忍び込ませていたホッカイロが役に立つ。息も白くなるが、明らかに吸い込める量が少ない。しかし我々はツアーのグループだ。5時間も登山を繰り返していれば仲良くなる。「頑張りましょう!!!」とお互いを鼓舞しながら登って行った。
途中上を見ると、東京から見上げる夜空とは比べ物にならないくらいきれいな星が散らばっていた。
ふと目の前に流れ星が。「あ!流れ星!」と言う頃にはもう消えていた。夜の富士山ならではの経験なのだろうか。もはや目の前も真っ暗で、自分の足元を照らすライトの先と、前にいる同じグループの人の背中しか見る事が出来なかった。強烈な風が顔を刺激する。
休憩中に看板を発見し「富士山頂上 200m先」と書いてあった。もうそんなところまで来たのか。あんなにもキツかった登山がもう終わりを迎えようとしている。するとベテランおじさんが「ハイ注目~」と言い出し、指を指した。その指した先には暗くて見えづらかったが、かすかに鳥居が見えた。
「はい。あればゴールですからね~。頑張りましょうね~」
ご、ゴールだと!?!?俄然やる気が出てきた。横にいた親子ニキと現役自衛隊員ニキも「ここまできたら行くしかないっすよ!ね!」と友情が芽生えたのか、体力がググググーンと復活し、頂上まで一気に登った。
深夜3時前後。ついに頂上へ到着。この時の達成感と頂上にある山小屋の人たちの「お疲れ様」の声が幸せだった。数値で見ると、頂上の気温は約5度だったが、風がかなり強く、体感だと0度前後に感じた。とにかく風が「寒い」を通り越して、痛かった。既に人だかりができていた。ご来光を見るための人たちだ。
ご来光の時刻は約1時間後。それまでは山小屋に入って休憩することにした。
小屋に入り、バックを下すとグループの人たちで「お疲れ様でした!」と労いの言葉を掛け合った。もはや15時間、ずっと同じ行動をしたのだ。友情とチーム力、絆は最高値に達していた。
「何か食べてもいいからね。」とベテランおじさんが言ったので、僕はメニュー表に書いてあった「カップヌードル」を頼んだ。900円。家系ラーメンよりも高いが、そんなことを考える余裕などなかった。
生き返るぅぅぅうううううううううううう!!!!!!
寒さに耐え登り続け、疲弊した体に流し込むカップヌードルの麺と汁は格別だった。涙が出そうになった。
日清さん…ありがとねぇ…
ちなみに私は今回カップヌードルを選んだが、豚汁やコーンスープといった暖かいものはほぼすべて揃っているように感じた。
ところで、ここでもTwitterが繋がった。docomoの回線は4Gだがバリバリに繋がる。す、すごい…
この日、私は御朱印帳を持ってきた。
最近のプチブームとして、「旅行先で御朱印帳を持っていき、御朱印を貰う」というのがある。
富士山5合目にある富士浅間神社で予め御朱印を貰っていた。そしてこの頂上にはその神社の「奥宮」という形で神社がある。そこでも御朱印を頂いた。頂上に登らないと手に入らない御朱印だ。神社自体は奥宮は深夜3時半から御朱印などの受付を行っており、私以外にも多くの人たちが御朱印帳を提出していた。
午前4時頃。ベテランおじさんが「そろそろ日の出です。皆さん外で太陽を浴びましょう!」と言ったので、外に出てご来光を拝むことに。
午前4時半過ぎ。ついに日の出を迎えた。ここまで来る事自体しんどかったし、そもそもデブニートが挑戦していい領域の話しではなかったと最初は思った。しかし、諦めることなく、同じグループの他の人と切磋琢磨したことで迎えられた日の出。太陽が身体を照らした時、周りから歓声が沸いたのを今でも覚えている。
常に風は強く、手や耳などを刺激し、目を開けるのも少し厳しかったが、太陽を見ようと必死に目を開けた。
とある別のグループのガイドをしているであろう兄貴が後ろから
「本日8月11日!無事にご来光を迎えられたここにいる皆様を祝して、万歳三唱を行います!!」と言い出した。
そして我々は笑顔で万歳をし、良い富士登山の思い出を作り上げることができた。
同じグループの親子ニキの子の方の兄貴に撮影してもらった。
一生に一度の思い出としては相応しいのではないだろうか。富士登山、辛い事もあるが人におススメしたくなった。まぁ、「もう一回行きたいか」って言われたら「いやです」って答えますけど。
さて、ただここで終わりではない。
遠足も家に帰るまでが遠足です。
そう、下山である。
この下山が地味にしんどかった。
既に足はボロボロ、身体もボロボロなのに、下りって転がらないように足に力を入れないといけない。これがかなりしんどくて、「下山の方が100倍辛いじゃねぇかよ!!!」と思い知らされた。
そもそも、下山のルートが面白くない。このサイトのオレンジ色のルートが富士吉田ルートの下山道だが、累計60往復くらいかけてグネグネして帰るのだ。先程「グネグネして登って地理感覚が失われてきている」なんて言ったが、そんなものがちっぽけになるくらいだ。永遠に螺旋階段を下っているような、そんな感じだった。
ただひたすら下り、下り、下り…最終的に5合目のポイントに戻ったのは午前9時前。4時間ほどかかった。
5合目のスタッフの方に「お帰りなさーい。朝日は見れましたか?」と言われ「見れました!!この目で見ました!めっちゃよかった!!うぎゃあああ」と言った記憶がある。もう下りすぎて頭がおかしくなったようだ。
既に午前9時の段階で多くのまた登山に向けて準備している人が現れている。これからまたあのきつい崖や階段を登る人たち、頑張れ。そう思いながら僕は休憩室でレンタルしていた登山用具を返却し、私服に着替えると、すぐに爆睡してしまった。山小屋でも寝れなかったからか、すぐに落ちてしまった。
今日も今日とて中央道は渋滞が発生し、迎えのバスが1時間半遅れでやってきた。その分十分に睡眠が取れたので問題はないが、外を出ると濃霧が出ていた。
近くにベテランおじさんがいたので「霧すごいっすね」と言ったら「ん~、今日は厳しいかもな。8合目までかな」と言っていた。ニアピンでこの状況。自分たちがきれいなご来光を眺められたのが奇跡なのではないかと思えてきた。
そうこうしているとバスが来たので乗車し、温泉と海鮮丼と酒をたしなみに、高校野球をマッサージチェアに座りながら眺め、新宿に戻った。バスを降りると、無意識に「あつっ」と声が出てしまった。完全に富士山の環境に慣れてしまっていたのかもしれない。
ちなみに、翌日普通に歩くのが筋肉痛でままなりませんでした。痛すぎて5cmくらいしか歩幅が広げられませんでした。ペンギンかな?
ご来光ツアーは各旅行代理店がやっているので、チェックしてみてください。今回私はvip tourを利用しました。ツアーを利用しないと、かなりきついと思います。
さーって、次はエベレストでも登ろうかなぁ!(大嘘